犬と生きるホームレスと一緒に泣いてみた。

 

【ティアハイム紀行】

2018年3月。

ドイツの動物保護施設のティアハイムを訪ねるため、私はヨーロッパを訪れていた。

このティアハイム紀行ではその旅の中で出会ったものを書き残していく。

今日の話は

「彼らは酒を呷り、飯をねだり、犬を愛でる」

そんなお話だ。

 

 

 

 

3月7日 ローマ。

朝からよく晴れた日だった。

青空にコロッセオが映え、サン・ピエトロ大聖堂を背に、鳥が群れる。

 

ヴァチカンでの一通りの観光を終えて、

私は目的地の“ローマ猫の楽園”「トッレ・アルゼンチーナ広場」を目指していた。

この広場は、ローマ市内に今もなお数多く現存するの遺跡の一つである。

かつて、かのユリウス・カエサルが暗殺されたとされるこの場所は、

その形を留めながらも、今はなんと野良猫の保護施設として観光客に親しまれている。

 

勿論この施設のことも取り上げたいのだが、

それは別記事でのちほど紹介するのでしばしお待ちいただきたい。

 

 

 

 

というのも、

今回取り上げる主人公は

道中で出会った、「とあるホームレスと犬たち」なのだ。

 

 

 

 

 

夕暮れの近づく空には雲が立ちこめ、腹の虫も泣き始めたころ。

犬の吠える声が陰鬱なローマに重々しく響いた。

 

そちらに目をやると

少し寂れた壁にもたれかかるようにして、彼らはそこに座っていた。

 

 

 

三人の男と、一人の女。

転がった酒瓶。

小銭が入った紙コップ。

そして

 五頭の犬。

 

 

 

 

悲しいことに、ホームレスはたいていどの国にも存在する。

私もヨーロッパを巡る中で、数多くのホームレスの方々を見てきた。

時には見るのも痛々しいような身なりで、恵みを乞う姿や

思わず目をそらしたくなるような、失敗した人間の末路を見てきた。

 

 

 

しかし、犬を連れたホームレスに会うのは初めてだった。

ましてや、五頭もの犬を連れたホームレスなど。

 

 

 

 

 

 

「自分が生きていくだけでも、大変だろうに。」

 

 

 

 

 

そう思うのは至極当然のことではないだろうか。

 

 

 

 

 

しかし、そこにはじつに五頭の犬が思い思いに寝そべり、

人間と一緒に物乞いをしていた。

 

 

 

”これは、動物と、それらを取り巻く現実を見る為の旅だ。”

この旅の目的は、ティアハイムを中心にヨーロッパ先進国の人間と動物の関係性を見てくることだった。

少し怖ささえ感じるホームレス。お世辞にも話しかけやすそう、とは思えない。

 

しかし、話を聞くために

私は彼らに歩み寄ることにした。

 

 

 

 

 

5ユーロ紙幣を紙コップに入れる。

信頼を得るためのお金だ。

 

 

「少し話を聞かせてもらえないだろうか。」

そう問いかけつつ、腰をかけた。

 

 

 

すると彼らは怪訝な顔をしつつも、笑顔で私を受け入れた。

 

そして私は色々と質問を投げかけてみた。

 

なぜ犬がいるのか、生活は苦しいか、犬の世話はどうしているのか

 

正直、彼らと話して分かったことはほとんどない。

彼らも英語に堪能ではなく、同じことをひたすらに繰り返すだけだったのだから。

 

 

「こいつらは家族なんだ。」

 

 

「もう六ヶ月もこうして一緒にいるが、何でも食べるから気を使うことも少ない。

あ、でもこっちの犬はパスタが好きなんだ。」

              

一匹一匹を紹介しながら愉快そうに男は笑った。

 

 

「この犬は、ごみ置き場で出会った。こっちのは、死んだ友人から引き取ったんだ。」

出会い方も、どうやら様々らしい。

 

 

「おれはルッセルブルクからきた。犬と暮らすのはおれの生活そのものなんだ。」

幼い時から犬が横にいるのが当たり前だったと話は続く。

 

 

「おれは、人間が嫌いだ。でも、動物は大好きなんだ。」

「だからこいつらは友達で。そして、家族なんだ。」

 

 

 

They are my family.

たったの四単語を、顔を輝かせて、彼らはつたない発音で必死に強調した。

 

ホームレスと犬。

なるほど、どうやら彼らには不思議な絆があるらしい。

はたしてどんな絆なのか。そんなことを考えながら旅を続けた。

 

 

 

 

ドイツのケルンでは小型犬をコートにくるむようにしてうずくまる男性の姿があった。

小銭を渡すと、深々と頭を下げて彼はこう言った。

「Danke Schön.」

(ダンケシェーン ドイツ語で“ありがとうございます”の意)

                 

 

 Danke Schön.

つぶやかれたありがとうと犬を抱くその姿に

ふと、なにか胸に迫るものを感じた。

 

 

 

スーパーの外に毛むくじゃらの小汚い犬がつながれていた。

同じく伸びきったひげを蓄え、小汚い男性がスーパーから出てくる。

 

愛おしそうに、犬の頭をなでる。

 

 

「さあ、ご飯を買ってきたぞ。」

 

 

 

刹那、衝撃が胸を駆け抜け、鳥肌がたった。

 

They are my family.

そういうことか。

 

 

 

スマホをまさぐり、検索をかける。

そしてホームレスと犬に関するこんな記事を見つけた。

ホームレスとペットの絆。無償の愛で結ばれた唯一無二の家族

 

 

 

 

住む家がない人々にとって、ペットとはかけがえのない友人であり唯一の家族。守りたい相手で、無償の愛をささげたい相手でもある。

ホームレスのペットの飼い主は、自分たちの持つわずかな持ち物を使ってペットの世話をする。お金があったなら、自分たちに何かを買うのではなく、ペットへの世話を優先することもある。自分が飢えるよりペットが飢える方が心配なのだ。

 

ホームレスには家がない。ペットたちに暖かい寝床を用意してやることもできないし、病気になった時に満足に動物病院に連れていくこともできない。だがそれでもペットたちは、ホームレスたちに無償の愛を与え、ホームレスもそれに応える。

 

 

http://karapaia.com/archives/52170843.htmlより

 

 

なんだ、そうだ。当たり前のことじゃないか。

 

気づいた時にはもう、込み上げてくる涙を留めることはできなかった。

目頭は熱くなり、涙は頬を伝った。

 

 

 

 

 

They are my family.

たったの四単語。

しかしおそらく、幾十万の言葉より価値を持つ。

意味を持つ。

 

 

 

 

 

 

 

はたして彼らは不幸だろうか。

冷笑され、憐れまれるだけの存在だろうか。

 

 

 

私には分からない。

しかし、これだけは言える。

 

 

 

 

ヨーロッパの片隅で、

かけがえのないものを抱きしめる命の美しさを見た。

 

 

冬空の下で

体温を分かち合う愛に出会った。

 

 

共に生きる。

そう呼べる確かなものを見つけた。

 

 

惜しみなく注がれる、唯一のぬくもりへの愛を

何よりも大切にしたい命の鼓動を

今日も一人と一匹は共に守りあう。

そうやって生きている。

力強く、命を謳っている。

一緒に、生きている。

 

【文/たける】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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